笑っとけ、笑っとけ

おらー!行ったるぜーぃ!頑張るぜーぃ!ってなっているときって、後先考えずに、そして他のことなんて全然考えずにぐいぐい進んでいて、何かのきっかけで、あれ?いつの間にか俺ったら一人で勝手に突っ走ってたな、周りはなんか違う方向に向いてたことに全然気づかなかったぜ、てへへって思うことが割と、というか完全によくあるんですけども、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
今朝起きて、いつもの日課のストーブの電源を入れ、コーヒーを淹れるってのをやろうと思って布団から出たらコーヒー豆が無いことに気付いた。
「おい、まじか。もう、昨日の俺のばかばか」とかなんとか言って、仕方なく服を着てふーふー言いながらお湯を飲み、冷蔵庫の食料品もキノコがちょっとしかなかったので買い出しに行くことにした。
買い出しはいつものように徒歩だ。
歩いて15分くらいにスーパーがあるのでその前に行ったら、開店は10時らしくその時9時半。
このまま待ってるのも粋じゃねぇよてやんでぃと思い、イヤホンの音量を上げて行ったことのない道を歩きまくって写真を撮ることにした。
散歩中に音楽を聴いて写真を撮るってのはなんとも僕にとって至福な時間で、道に迷いながら人に道を訊きながら僕は見知らぬ土地の地理を覚えていき、元々方向感覚もポンコツな部類に入るので、「あれ、なんか知らんけどここに出た! この土地の道路の造りは一体どうなってんのよ全く。迷路かよ」とか他の人なら当たり前だろってことも、僕にとっては大きな発見で、そういうときって萩原朔太郎の「猫町」という小説を思い出す。
そしてその猫町を読んだつげ義春が書いた「貧困旅行記」のことを思い出した。
その後、好きな小説を一つ一つ思い出していき、夏目漱石の「坊っちゃん」、今読んでる町田康の「猫にかまけて」そして「夫婦茶碗」、村上春樹の「ノルウェイの森」、伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー」と「チルドレン」、フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」、串田孫一の「山のパンセ」。
その小説たちの中に出てきた好きな文章を思い出して、「あー、なんだっけ?あの場面のあのときの書き方格好良かったんだけどな。でも多分グレート・ギャツビーの文頭の1ページは今もきっと思い出せるはず」
と、その文章を思い出して、ここ違ったっけ?なんだっけ?ってずーっと歩いていたら、なぜか奇跡が起きてスーパーの前にたどり着いた。
知っている。僕は知っている。
人はこれを「奇跡」などという、普段起きないことが起きたときに使う言葉を使わないということを、僕はきちんと知っている。
ただ、方向感覚がポンコツな人間は得てしてこういう事態が起きるのだ。
全く関係ないところを歩いていたつもりなのに、実はその周りをぐるぐると回っていただけ、ということがとても多い。まるで僕の人生ではないか。
きっと、僕が山中で遭難したら、ずっと自分が歩いた道を歩きに歩き、そこに獣道が出来て上空のヘリコプターにすぐに発見されるんだ。
いや、もしかしたら、気付けばその獣道は「SOS」と書かれてあるかもしれない。
うん、もしそうなれば、それは本当に奇跡だ←どっちだ
そしてスーパーに入り、「今日は食いたいと思ったものを食う日だばかやろう、げははは」とパシリの山賊のような顔つきでカゴに野菜を入れ、そしてラーメンをばしーんと入れてやった。
どうだ、今日俺はラーメンを食うんだ。
ふん、米やらパンやらを食ってるみんなごめんな、俺は今日ラーメンを食うんだぜってなぜか上から目線で微笑んだ。
そして今回はいつものミスが無いよう、きちんとメモ用紙1枚にでかでかと「こーひー!」と書いてあったので目的のコーヒーもきちんとカゴに入れ、会計を済ませて店を出て、そしてまた歩きながら写真を撮りながら帰った。
僕は、買い物から帰ってきたとき、袋から買ったものを冷蔵庫に入れる瞬間が好きだ。
なぜなら、買い物というのはアドリブだからだ。
本当に必要なものだけはメモに書くが、そのときの気分で僕は小躍りするように買い物をするんだ。そう、僕は買い物という日常の行事をスイングさせるんだ。
だからときには買い物袋の底に「クランキー」が入っていたり、「ジャイアントカプリコ(イチゴ味)」が入っていたり、「バームロール」が入っていたりすると、「ちっきしょー、今日の買い物をしてたときの俺はヤンチャしてるぜー!」などと小声で言い、そしてやっほぅなどと言いながら他の食料品を冷蔵庫に入れるのを止め、その場に座り込んでむしゃむしゃとお菓子を食べるのが僕は好きなんだ(※あと2ヶ月で39歳になります)
そしてようやく全てを冷蔵庫に入れ、コーヒーを飲む為にお湯を沸かした。
そうだ。このコーヒーを飲むことで僕の一日は始まり、そして過去はリセットされるんだ。
リセットこそが人生ではないか」、みたいなことを、かの岡本太郎は言っていた。
もしかしたら言ってなかったかもしれないけど←だからどっちよ
お湯が沸き、コーヒー豆を瓶から出してよしよしドリップだぜと思った。
僕はそのとき思い出したのだ。
 
コーヒーフィルターが無いということを。
 
僕の周りは一瞬すべての時間が止まり、音も無くなった。
そのとき、ちょうど僕の部屋のスピーカーから、竹原ピストルの「東京一年生」という歌が聴こえてきた。
その中の歌詞にこんな部分がある。
タバコ自体が無いってなら、まぁしょうがないかなって思えるんだ
耐え難いのは、タバコはあるのに火が無いときだよ
僕はコーヒー豆を左手に持ったままその場に立ち尽くし、湧いたお湯の蒸気を見つめながら、右手でバームロールをむしゃむしゃと食べた。

アリノハネ (arinohane)

北海道美唄市にある靴職人の店、アリノハネのホームページです。